南米旅行記
◆行先:Brasil:Foz do Iguacu市/Argentina:Puerto Iguazu市⇒Argentina:Buenos Aires市⇒Peru:Machu Picchu村⇒Cuzco市⇒Lima市⇒Ica市
◆期間:2009年6月7日〜18日(11泊12日)
◆訪問した世界遺産:
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11:39am、バスに乗り国境検問所を通過してブラジル側へ戻り、昼食レストランに向かう。12:14pm、昼食レストランに到着。昼食はブルボン・カタラタス・ホテルの近くにある「パラナ・レストラン(Parana Restaurante)」と言うレストランで、ブラジル料理の「シュラスコ(Churrasco)」を主体としたバイキング形式の昼食を食べる。シュラスコは大きな牛肉等の肉塊に大きな鉄串を通し、粗塩をふって炭火で焼いたブラジル料理で、調理人がドラム型の調理台の上で、肉を切り分けてくれる。食べてみると、結構美味しい。昼食後、ブラジル土産店へ連れて行かれる。現地ガイドのIさんが店の表に鳥小屋があると言うので見に行くと、「コンゴウインコ」等色鮮やかな南国の鳥が何種類か飼われていた。
午後は「ブラジル側のイグアス国立公園」に向かう。2:05pm、ビジターズ・センターでバスを降り、公園内専用バスに乗換えて、2姉妹の滝の対岸付近で下車。そこから遊歩道を歩きながら対岸にあるイグアスの滝を観る。イグアスの滝の大半はアルゼンチン側にあるので、ブラジル側からは対岸の滝を眺める事になる。暫く歩くと、2段になっている滝の1段目上に造られた川の中央部まで延びる遊歩道橋が見えて来る。その先端部まで歩いて行くと、500m程先に悪魔の喉笛が見えるはずだが、水煙ではっきりとは見えない。川の中には草が生えた大きな石がゴロゴロしており、その上に黒い鳥が何羽も留まっているのが不気味だ。エレベーターに乗り、展望台に上がる。足元の床面は金網になっている為、床面の下に川の水面が見える。高所 恐怖症の人にとっては長居したくない場所の様だ。
現地ガイドのIさんが密林走行とラフティング(Rafting)のオプションがあると言うので申込む。参加者は8名。まず四輪駆動車で密林の中を走行し、ラフティングの船着場まで下りる。持参したビニール合羽を着て、その上から救命胴衣を着け、船外機2基を供えた大きなゴムボートに乗込む。ゴムボートは上流にある悪魔の喉笛に向かって水飛沫を揚げながら高速前進し、「サン・マルチン島(San Martin Island)」手前で一旦停止。カメラ類の収納庫が用意され、その中にカメラ類を収納するように指示されたので、カメラをその中に収納。ゴムボートは再び高速前進し、悪魔の喉笛の手前にある細い滝の下で一旦停止後、いきなり滝に突入。ビニール合羽を着ていたものの、いきなり滝水を浴びせられ、びしょ濡れになる。
ホテルの部屋へ戻ると、ズボンやポケット内の財布までびしょ濡れだ。びしょ濡れになった衣服を着替え、財布に入っていた濡れた紙幣を乾かす。当初、ラフティングは遊覧のみと思って参加したので大変驚いたが、世界遺産である世界最大の滝に打たれた経験は良い記念になった。夕食はホテル内の昨夜とは別のレストランにて、バイキング形式のブラジル料理。ラフティングへ参加した仲間といっしょに食べる。ツアー仲間のNさん母娘の話が、まるで親子漫才の様で大変面白い。
★4日目(6月10日)
朝食レストランへ行くと、皿の上に30cm×20cm位の大きさの蜂の巣がそのまま置いてある。その蜂の巣は高さ4段で、蜂蜜が溢れる程詰まっている。今まで蜂蜜を蜂の巣ごと食べた事はないので少しスプーンで切って食べてみたが、大変コクのある甘さで美味しい。ホテルをチェック・アウトし、バスは7:30amにホテルを出発。国境検問所を通過してアルゼンチンに入り、プエルト・イグアス(Puerto Iguazu)市街を抜けて、アルゼンチン側の3国国境地点へ到着。3国国境地点とはイグアス川とパラナ(Parana)川の合流点にあるアルゼンチンとブラジルとパラグアイ(Paraguay)の国境地点で、3国それぞれに存在し、いずれも国境モニュメントが立っている。我々が訪れたのはアルゼンチン側なので、白と青の国旗色に塗られた高さ5m位の三角錐型のモニュメントが立っている。イグアス川対岸にはブラジル側の緑と黄の国旗色に塗られた三角錐型のモニュメントが見える。
9:03am、プエルト・イグアス空港に到着。ブエノス・アイレスまで搭乗予定の10:55am発LA4023便が何故か1時間遅れとなり、待ち時間が出来る。マテ(Mate)茶の無料サービスがあったので飲んでみたが、あまり美味しいお茶ではない。空港前道路をウオーキングしていたら、20cm位の長さの巨大な松ぼっくりを拾う。南国では植物も巨大化する様だ。11:58am、ラン航空LA4023便は定刻10:55amより約1時間遅でプエルト・イグアス空港を離陸。1:30pm、定刻12:50pmより40分遅れでホルヘ・ニューベリー空港に着陸。バスに乗込み、ブエノス・アイレス市内観光に出発。発車直後、車内で和食弁当が配られたので、遅目の昼食を食べる。
最初に「コロン劇場(Teatro Colon)」を訪問。コロン劇場は世界三大劇場の一つと言われ、3500人を収容出来る大劇場で、現在の劇場は1908年に完成したとの事。バスに乗ったまま劇場の外周を一周する車窓観光だったが、丁度100周年記念の改修工事中で、建物全体に足場が組まれている為、壁面の彫像の細部まで見る事が出来なかった。コロン劇場は「7月9日通り」に面しているが、道路幅が物凄く広く、130m位ある。この通りは世界一道幅が広い道路だそうだ。片側の道路区分は歩道、3車線、分離帯、10車線、中央分離帯となっている。又、道路の名前はアルゼンチンの独立記念日である1816年7月9日に由来するとの事である。コリエンテス(Corrientes)通りとの交差点は公園になっており、中央部にエジプトの様なオベリスクが建っている。高さは68mあり、ブエノス・ア� �レス創設400周年記念として建てられたそうだ。
バスの車窓から街路樹を見ていると、所々に紫色の花が咲いているが、「ジャカランダ(Jacaranda)」の花だそうだ。未だ咲き始めの様だ。「サン・マルティン(Jose de San Martin)記念公園」の南側でバスを下車し、歩行者天国で商店街が建ち並ぶ「フロリダ(Florida)通り」周辺を30分程街歩きをする。インカ石の店へ入ったが、小さな石でも大変高価なのでびっくりした。バスに乗り、「五月広場(Plaza De Mayo)」で下車し、北側にある「メトロポリタン大聖堂(Catedral Metropolitana)」を訪問。中へ入るとアルゼンチン独立の父「ホセ・デ・サンマルティン(Jose de San Martin)将軍」の遺体が安置された部屋があり、部屋の入口に護衛兵が2人向き合って立ち、遺体を守っている。ホセ・デ・サンマルティン将軍はアルゼンチン生まれの軍人で、アルゼンチンだけでなく、チリ(Chile)やペルー(Pelu)等の南米各国を独立させた指導者だそうである。
最後に訪れたのはアルゼンチン・タンゴ(Argentina Tango)発祥の地「ボカ地区(Boca's Area)」。石畳の小道(Caminito)を歩いて行くと、両側に色とりどりの建物が建並び、その前で衝立に絵画を並べて売っている店が沢山ある。少し歩くと小さな広場があり、写真でよく見る直角三角形の2階建の建物がある。1階は「ハバナ(Havanna)」と言うチョコレート菓子を売る店で、鋭角端にある入口から店内に入り、階段を上がって2階の窓から外を眺めると、広場の向こうに岸壁と運搬橋が見える。店を出て岸壁まで行ってみると、2つの運搬橋が並んでいる。2つの橋は同じ名前で「ニコラス・アベジャネーダ橋(Nicolas Avellaneda)」と言い、手前側の黒色の橋は古い運搬橋で、現在は使用されていないとの事である。又、奥側の朱色の橋は見た目は運搬橋の形をしているが、自動車専用道路に架かる新しい普通の橋だそうだ。
ブエノス・アイレス市内観光を終え、バスでブエノス・アイレス・エセイサ国際空港に向かう。エセイサ国際空港で2時間47分の乗継待ち時間を過ごす。8:21pm、ラン航空LA2428便は定刻8:10pmより11分遅れでエセイサ国際空港を離陸し、ペルーのリマへ向かう。機内食の夕食が出て来たが、やはりサンドイッチだった。10:27pm、LA2428便は定刻10:55pmより28分早くリマ・ホルヘ・チャベス国際空港へ着陸。飛行時間は4時間6分だった。リマ国際空港でペルーへの入国手続を済ませ、スーツケースを受取る。徒歩でスーツケースを引いて空港ビルの向かい側にある宿泊ホテルまで行く。11:10pm、宿泊ホテルである「ラマダ・コスタ・デル・ソル・リマ空港ホテル(Ramada Costa Del Sol Lima Airport Hotel)」に到着。今夜のリマでの宿泊は、クスコへの乗継の為だけなのでリマ市内では宿泊せず、空港ビルの向かい側にあるこのホテルに宿泊する。
★5日目(6月11日)
朝食はバイキング形式だが、パンや料理の種類も少なく、大した物は無い。8:29am、ホテルを出発し空港ビルへ徒歩で移動。ペルー国内便であるラン航空LP071便は定刻9:40amより20分遅れの10:00amにリマ国際空港を離陸し、定刻10:55amより1分遅れの10:56amにクスコ空港へ着陸。飛行時間は僅か56分だった。バゲージ・クレームへ行くと、色とりどりの民族衣装を着た楽団がフォルクローレを演奏し、チップを貰ったり自分達の演奏のCDを販売している。こんな場所でお金を稼ぐとは良い所に目を付けたものだ。クスコ空港は標高3300mもある筈だが、体調に異変は特に感じない。
11:38am、クスコ国際空港からバスに乗り、クスコ市の北西約48kmにあるオリャンタイタンボ(Ollantaytambo)に向かう。曲がりくねった坂道を登っていくとクスコ市内の街並みが展望出来る。殆どの家の屋根の色が赤褐色で高層ビルは見当たらないので、街全体が赤褐色に見える。クスコ市は盆地に有り山に囲まれているが、山の上まで家が建ち並び、樹木の緑は大変少ない。ポロイ(Poroy)と言う街を通過して暫く走ると、高原大地の大草原に出るが、この付近の標高は3700m位ある。右手にピウライ湖(Laguna Piuray)が、その向こうに雪を頂くアンデスの山々が見える。
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チンチェロ(Chinchero)と言う町を少し過ぎた所にある展望地点で一旦休憩。眼下に「インカの聖なる谷(Valle Sagrado de Los Incas)」と呼ばれる「ウルバンバ渓谷(Valle del Urubamba)」と「ウルバンバ川」が見え、正面に雪をかぶった標高5530mのチコン山(Mt. Chicon)が見える。暫く行くと左手にウアイポ湖(Raguna Huaypo)、その手前に牛がいるのどかな牧場風景が見えて来る。BUSは高原大地を下り、ウルバンバ渓谷に沿って走り、1:44pmオリャンタイタンボの昼食レストランに到着。「ホテル・パカリタンプ(Hotel Pakaritampu)」内の「ムジナ・ワシ(Mijuna Wasi)」と言うレストランで遅めの昼食。スープと大皿一枚の上に白身魚のムニエルと野菜、御飯が載った料理が出たが、結構美味しい。
昼食後、ホテルの庭園で休憩。南側はウルバンバ川を挟んで岩肌がむき出しで急斜面の高い山が迫り、北側は畑が広がり、その向こう側の山の斜面にはホテルから約600m離れた「オリャンタイタンボ遺跡」が見える。時間があれば見学したかったインカの遺跡の一つだ。昼食レストランから10分ほど歩き、ペルー・レイルのオリャンタイタンボ駅に移動。オリャンタイタンボ駅はペルー・レイルのクスコ・マチュ・ピチュ路線の中間駅で、我々はここから列車でマチュ・ピチュへ行く。駅のプラットフォームの高さは20cm位しかなく、列車待ちの間、線路面からマチュ・ピチュ方向(西北西)に雪を被った標高5750mの「ベロニカ山(Mt. Veronica)」がよく見える。30分程待つと、青色の車体に黄色の線が入った列車がゆっくり入ってくる。この列車は「ビスタ・ドーム号(Vista Dome)」と呼ばれ、天井の両端にも硝子窓が付いている。
ビスタ・ドーム号はほぼ定刻4:03pmより4分遅れの4:07pmにオリャンタイタンボ駅を発車し、マチュ・ピチュに向かう。発車後、暫くして食事が出てくる。紙箱にサンドイッチとクッキーが入っており、コカ(Coca)茶が付いている。日本では禁止されているそうだ。1号車2列目の指定席に座り、段々狭くなるウルバンバ渓谷の素晴らしい景色を眺める。左側はウルバンバ川が流れ、急斜面の岩山が続いている。右側は線路の直ぐ側から切立った岩山になっており、天井窓からさらにその後方に雪を被った高山が見える。マチュ・ピチュへ近付くに連れてウルバンバ川は急流となり、所々にインカ道への吊橋が掛かっている。5:45pm、マチュ・ピチュ駅に到着。走行時間は1時間38分。駅の周辺は日がとっぷりと暮れ、真っ暗になっていた。
駅のあるマチュ・ピチュ村の標高は約2100mある。駅からマチュ・ピチュ村にある宿泊ホテルまで歩いて移動。歩いている間、闇の中で黒い切り立った山々に取り囲まれている事が判る。まるで巨大なモノリスに取り囲まれている様に感じる。約10分で宿泊ホテルである「マチュ・ピチュ・イン(Machu Picchu Inn)」に到着。マチュ・ピチュ・インは黄色に塗られた平屋のホテルだが、山の斜面に建物が段々畑の様に連なっているので、階段が多い。我々の部屋には風呂は無く、シャワーだけだった。夕食はホテルから400m程離れた「インカ・テラ(Inka Terra)」と言う別のホテルのレストランへ歩いて食べに行く。料理はフレンチ・ポテトが添えられたビーフ・ステーキとスープだったが、牛肉は硬く味も今一だった。
★6日目(6月12日)
ホテルにてバイキング形式の朝食後、ホテル周辺を散歩。ホテル前の坂道を下りて行くとアルマス広場に出る。広場は切り立った巨大な岩山に取り囲まれ、中央にはインカ帝国第九代皇帝で、マチュ・ピチュ遺跡を建設したパチャクティ(Pachacuti)の像が建っている。マチュ・ピチュ村は数年前まで「アグアス・カリエンテス(Aguas Calientes)」と呼ばれていたそうで、これは「熱い水」を意味する。村を流れるアグアス・カリエンテス川沿いの北東方向の村外れに温泉があるそうだ。マチュ・ピチュ遺跡へは専用バスか徒歩でしか行けないので、バス停で専用バスを待つ。
9:12am、専用バスに乗り、いよいよ「マチュ・ピチュ遺跡(Machu Picchu)」へ出発。暫くウルバンバ川沿いの無舗装の細い道路を走ってからウルバンバ川に架かる橋を渡ると、九折の急坂を登り始める。下ってくる専用BUSとすれ違うのがやっとの狭い道なのに、ガード・レールも無いので大変怖い。雨の日のこの坂道でのすれ違いでの事故は谷底に転落する危険性がある。坂道を登るに連れ、眼下にウルバンバ渓谷とウルバンバ川が良く見える。標高差約400mを約20分ほどで登り、遺跡入口にあるホテル前に到着。この地点の標高は約2500mである。
9:32am、現地ガイドのMさんの案内で入口から入場し、細い九十九折の坂道を歩いて登って行くと、早速トカゲやリャマが道端で歓迎?してくれる。暫く坂道を登って「見張り小屋」に到着すると、眼下にマチュ・ピチュ遺跡が現れ、正面には「ワイナ・ピチュ(Huayna Picchu)」が聳えている。今まで何度も写真やテレビで見た風景だが、自分の足でこの地に立ち、肉眼で観る感動は写真やテレビとはまったく違う。見張り小屋から階段を登り、さらに上の段々畑まで行き、現地ガイドからマチュ・ピチュ遺跡全体の説明を受ける。ワイナ・ピチュは「若い峰」で、マチュ・ピチュは「古い峰」と言う意味だそうだ。ここからは遺跡全体とワイナ・ピチュが一望出来るが、周囲を見ると山々が取り囲み、さらにその向こうに雪を被った高山が取り囲んでおり、自然とここが神聖な場所と感じる。
遺跡はマチュ・ピチュ山頂にあるのではなく、段々畑の背後の岩山に頂上がある。遺跡の西側はウルバンバ渓谷で、切り立った断崖絶壁になっているが、その断崖絶壁にも段々畑があるのは驚きだ。見張り小屋は3方だけに壁面があり、1方は外気開放の小屋で、屋根はイチュと言うイネ科植物で葺かれている。小屋から少し離れたところに、周囲の山々の神に捧げ物をしたと言う「儀式の石」がある。石には三段の小さな階段が付いているが、これは地下世界、地上世界、そして天井世界を表しているとか。石の上面の大部分は平だが、片端は背後の山と同じ形に加工されている。
段々畑横の階段を下り、「市街地入口」の石組された門から市街地に入場し、「石切場」に出る。巨大な花崗岩の石がゴロゴロしている場所だが、マチュ・ピチュ遺跡の建物は全てこの石切場の石を加工し、石組みで造られている。階段を下りて行くと、「太陽の神殿(Templo del Sol)」が現れる。上から見ると一方は直線だが、他の三方は曲線で結ばれた石組みの壁が印象的だ。内部には巨大な「聖なる石」が横たわっているが、石組みの修復作業中の為、内部には入れない。階段をさらに下りていくと、階段の横に「16の水汲み場」が並ぶ。この水は遠くの山から石造りの水路を通って運ばれてくるとの事だ。
次に「王の別荘」を観る。最初の部屋の床面中央部には「天体観測の石」が置いてある。この石は円柱形で、高さ約10cm×直径約50cmで、上面はすり鉢状に凹んでおり、少し雨水が溜まっている。王の部屋の奥にはトイレ室があり、水洗トイレがある。「ミニ植物園」横を通り、「神聖な広場」に出る。東側には「3つの窓の神殿」、北側には「主神殿」がある。主神殿は正面と両側3方が石組みの壁で囲まれている建物だが、正面右側の石組みが傾き、崩れ掛かっているので、早急に修復が必要だ。神聖な広場の西側に二等辺三角形の三角柱を横に倒した形の石がある。自分の腕時計で標高や方角が測れるカシオ・プロトレックをその石の上に置くと、石の対角線方向が真南を示した。
神聖な広場から主神殿の正面壁裏側にある「エコーの部屋」へ行く。この部屋の石組みにある飾り棚(Niche)で声を出すと声が反響し、裏側にある主神殿側でも聞こえるらしい。階段を登って行くと遺跡の頂上に到達する。ここからの大パノラマは真に絶景である。インカの皇帝がこの場所に空中都市を造った気持ちが判る様な気がする。頂上には「インティワタナ(Intiwatana)、太陽をつなぎ止める石)」がある。幅約2.5m×奥行2.0m×高さ約1mの巨石の上ほぼ中央部に、幅約60cm×奥行約30cm×高さ約70cmのモノリスの様な角柱が突き出しており、日時計の役目の他に方位を示している。
この旅行記を書いている途中、この角柱の高さに付いて書かれた記事の間違いを発見した。南米旅行へ行く前に、何冊かの旅行案内書を購入したが、角柱の高さはいずれも「36cm」と書かれている。インターネットで色々なホーム・ページを調査してもやはり「36cm」と書かれている。しかし、私の写した写真を見ると土台と角柱をあわせた全高は180cmあるのに、土台の高さは妻の腰の高さより少し高い110cm前後である。そうすると角柱の高さは70cm前後ある筈で、2倍近く違う。そこで出版社に質問メールを送付し、角柱の高さの再調査を依頼した。その結果、出版社から再調査した結果を回答して頂いた。ペルー文化庁からの回答で、「角柱の高さは65cm」であると判明し、出版社はH/Pに訂正文を掲載したとの回答であった。
ウルバンバ渓谷を見下ろす急斜面に沿った階段を下りると、巨大な岩の下に出る。そこから100m程歩いて遺跡の一番北側へ行くと、向かい合った2つの建物がある広場に出る。この建物は「ワイラナ(Wayrona、準備室)」と呼ばれ、儀式やワイナピチュへの登山準備に使用されたらしい。復元されたこのワイラナは窓がある3方壁の建物で、屋根はイチュが葺かれているので涼しく、観光客やリャマの休憩所になっている。広場の北東辺には巨大な「聖なる石(Roca Sagrada)」が鎮座している。この石は幅約7.6m×高さ約4mで、一枚石を背後に聳えるヤナンティン山(Mt. Yanantin)の形に加工してある。インカの人々は山々を神として崇拝していた事が良く判る。
この広場の北側にワイナピチュ登山の入口の木戸がある。ワイナ・ピチュへ一度登ってみたいが、今回のツアーでは登る時間は無い。1日400人までの人数制限があり、往復するのに2時間位掛かるので、時間的余裕が無いと登れない。「未完成の神殿と鳥の壁」の横を通り、「技術者の居住区」へ行く。ここは工芸品を造っていたらしい部屋が幾つもあるが、その一つに入ると、数頭のリャマが草を食べていた。「2階建ての家」は斜面に建てられた家で、1階と2階の両方に出入口がある。2階の床は4本の丸太が橋の様に外壁の段差まで掛けられいるので、この上に木の板を敷いたのだろう。
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部屋の外へ出ると崖の上に何か動く動物がいる。良く見るとうさぎで、「アンデスうさぎ」だそうだ。全体が灰色で、下半分は薄茶色の毛が混じり岩と土色の保護色になっているので、存在が判り難い。少し歩き、「天体観測の石」がある部屋に入る。部屋の床面中央部に「王の別荘」にあったのと同様の石が2つ置いてある。石にはやはり雨水が溜まっており、太陽が映っている。インカの人々は天体をこの水に映して観測したらしい。階段を下り、「コンドルの神殿」へ行く。この神殿は巨大な自然石を利用して人口石を組合せ、コンドルが羽根を広げた様な形状の建築物で、地面にはコンドルの頭部を彫った大きな石が置かれている。コンドルの神殿の左側にある一人分の幅しかない岩の隙間をを抜けると、芝生の広場に出る。
広場の北側に一本だけ高さ約10mの木が生えており、その後方には段々畑がまるでエジプトの階段ピラミッドの様に天に向かって続き、頂上に最初に訪れた見張り小屋が小さく見え、その左側にはマチュ・ピチュ山の頂上が見える。木の左側には急斜面にマチュ・ピチュ遺跡の建築物が建ち並んでいる。太陽の神殿の下にある「陵墓」へ行く。自然石で造られた洞窟を利用し、内部には石組みで飾り棚等が造られており、「大地の神パチャママの神殿」だったのではないかと言われている。現地ガイドが自由時間を30分くれると言うので、16の水汲み場横の階段を登り、「王の別荘」横付近で休憩する。周囲の山々の景色を見ると、南東方向の山の中腹に「インカ道」が走り、マチュ・ピチュの入口である「インティプンク(Intipunku、太陽の 門)」が見える。
もう一度コンドルの神殿へ行き、ゆっくりコンドルの神殿を観る。集合場所である遺跡入口前へ戻る途中、「段々畑」を横切ると、段々畑端にある急階段沿いに「貯蔵庫」が建ち並んでいる。マチュ・ピチュでは水や食料があるので、自給自足の生活が出来た様であるが、階段や坂の昇降が困難な足の悪い人や老人は、ここではとても暮らせなかったと思われる。1:35pm頃、遺跡入口へ戻る。我々のツアーはマチュ・ピチュ遺跡を約4時間かけて、比較的ゆっくり遺跡を観て回る事が出来たが、遺跡の全てを観る事は出来なかった。遺跡の全てをゆっくり見る為には、3日位滞在する必要がある。
1:52pm、専用バスで九十九折の道を走行し下山。下りなのでバスの速度が直ぐに速くなり、折り返しカーブに来ると、まるでウルバンバ渓谷に転落しそうで、登りより恐怖感を覚える。2:15pm、マチュ・ピチュ村のバス停に到着。バス停からペルー・レイルの線路沿いに造られた歩道を歩いて、昼食レストランに向かう。線路沿いにある「エル・トルド(El Toldo)」と言うレストランで遅目の昼食を食べる。表通りに開放された店の出入口で、楽団がフォルクローレの生演奏をしており、それを聞きながら昼食を食べる。楽団はサービスで演奏している訳ではなく、後でお金を集められた。
昼食後、ペルー・レイルの列車待ちの間、駅前にある民芸品市場で時間を過ごす。小さな民芸品店が所狭しと立ち並んでいるが、マチュ・ピチュの特産品は殆ど無く、ペルー全国の民芸品を何でも売っていると言う様である。4:55pm、マチュ・ピチュ駅からビスタ・ドーム号に乗り、オリャンタイタンボ駅に向けて出発。列車内で乗務員がアルパカ製衣類のファッション・ショーを始める。男性乗務員が民族衣装である目と口だけ出した白い編み物製マスクと四角い帽子を被ってアルパカの縫いぐるみを持って座席を回り、女性乗務員がアルパカ製のセーターやショールを着けて座席を回る。6:16pm、オリャンタイタンボ駅に到着したが、すっかり日は沈み、辺りは真っ暗になっていた。
6:30pm、バスに乗換え、クスコへ向け出発。再び標高約3700mの高原大地の大草原を走行する。バスの窓から夜空を見上げると、満天の星空が輝いているので大変驚いた。中学生の頃宇宙に興味があり、星座を覚えたり天体望遠鏡で星を観察した事があるが、今までこんな沢山の星が輝く星空は見た事が無い。西半球の星座名は判らないが、例え判ったとしても、これだけ沢山明るい星があると、星座を見つけるのは困難だろう。8:30pm、クスコ市内の夕食レストランに到着。「エル・トゥルーコ(El Truco)」と言うペーニャ(Pena、フォルクローレを聞かせてくれるライブハウスの事)で、フォルクローレ・ショーを見ながら夕食を食べる。
店内へ入ると既にショーが始まっている。我々ツアーの予約席に着くと、食卓に小さな日本国旗が立っている。他の客の食卓にも客の国籍の国旗が立っている。料理を食べながら、民族楽器でフォルクローレを生演奏する楽団の前で、極彩色のペルーの民族衣装を着た踊り子が踊るのを鑑賞する。料理はビーフステーキにマッシュド・ポテトと野菜が添えられているが、味は今一だった。時間が経つ内に、踊り子が食事客を呼び込み、いっしょに踊っている。夕食後、バスで宿泊ホテルへ移動する。宿泊ホテルは「エル・プーマ・ホテル(El Puma Hotel)」と言う中級ホテル。部屋に入って暫くすると、軽い頭痛がするのを感じる。クスコのこの付近の標高は約3400mで、富士山の9合目の高さとほぼ同じであり、空気が薄い事を初めて実感する。
★7日目(6月13日)
ホテルのレストランでバイキング形式の朝食を食べた後、ホテル周辺をウオーキングする。エル・ソリ(El Sol)通りのなだらかな登り坂の歩道を少し歩くだけで、息切れしてくる。コリカンチャ前を通り、ホテルに戻る。10:01am、ホテルからバスに乗りクスコ市内観光に出発。最初に訪れたのはホテルの直ぐ近くにある「コリカンチャ(Qorikancha、黄金の部屋、太陽の神殿)」。バスから下車し入口に向かって歩いて行くと、コリカンチャ西側にマチュ・ピチュ遺跡で観た「太陽の神殿」と良く似た曲線を描く美しい石組みの外壁が見えてくる。その外壁の上に数人の人が立ち、その前にある芝生広場に整列した人々に向かって何か指示を出している。現地ガイドに聞くと、6月24日に開催される南米三大祭の一つである「インティ・ライミ(Inti Raymi、太陽の祭)」の練習をしているとの事であった。
コリカンチャへ入場し、先ほど外から観た外壁曲線部のバルコニーへ出る。その場所はコリカンチャの中でも最も神聖な場所で、インカ帝国時代には「太陽の神殿」の祭壇が置かれていた場所である。そこには先ほど指示を出していた人達がいて、その内の一人はインティ・ライミで毎年皇帝役を演じている「エドムンド・コスコ・クシリマイさん(Edmundo Cosco Cusirimay)」と言う有名な俳優だそうだ。コリカンチャは黄金の太陽の神を祀ったインカ帝国最高の黄金尽くしの神殿であったが、スペイン人の侵略によって破壊され、黄金は全て奪われ、その上にセント・ドミンゴ(Santo Domingo)教会が建設された。しかし、神殿の一部は残っており、一部は復元されている。コリカンチャ内部へ入ると、大きな家型五角形の「金の板」が眼に入ってくる。金の板にはインカの世界観を表した絵が彫金で描かれている。コンドルが守る天上世界、ピューマが守る地上世界、蛇が守る地下世界である。
高さ約3mの隙間の無い石組みの壁に挟まれた通路を通ると、出口に「美しい二重の扉」があり、中庭へ抜ける。「多数の穴や凹みがある壁」は黄金の太陽の像が置かれていた場所で、壁の穴に金や宝石類が嵌め込まれていたらしい。コリカンチャ内には太陽の神殿以外に、月、稲妻、虹、星の各小神殿がある。小神殿の一つを見学したが、石組の壁で造られた3つの部屋があり、各部屋には出入口がある。室内の四面の壁には、高さ約170cmの位置に等間隔で台形の飾り棚が並んでいる。この飾り棚は神棚として使用されたらしい。3つの部屋を仕切る壁の中央部には飾り棚の位置に台形の窓があり、同じ位置、高さにある為、3つの部屋を見通す事が出来る。コリカンチャから「ロレト(Loreto)通り」を歩き、約400m離れたアルマス広場に向か� �。路面は2筋の石板と丸石が敷詰められ、両側の壁はインカの石組みが続く美しい石畳の路地だ。石畳は長年使い込まれて艶光している。
「ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会(iglesia de la Compania de Jesus)」の横を抜けると「アルマス広場(Plaza de Armas)」に出る。アルマス広場の北東方向にある「大聖堂(Catedral)」前の階段付近に大勢の人が集まり何かをやっている。多分、ここでも「インティ・ライミ」の練習をしているのだろう。アルマス広場の東端から北東方向に約200m歩き、ハトゥンルミヨック(Hathunrumiyoq)通りにある「12角の石」の前まで行く。12角の石は幅約100cm×高さ約80cmの大きな石である。この石はインカの緻密な石組みを象徴する石で、周囲の石と隙間無くぴったりと合う様に加工され、結果的に12角となった様に思える。ハトゥンルミヨック通りは道幅が3mも無い狭い路地の上、大勢の観光客が集まっているので、記念写真を撮影するのも順番待ちだった。歩いてアルマス広場に戻る。アルマス広場からバスに乗り、北西方向約1kmの丘の上にある「サクサイワマン( Saqsaywaman)要塞」へ向かう。
坂道を登り、僅か6分でサクサイワマン要塞の西側駐車場へ到着。サクサイワマン要塞の木製の鳥居型をした門を潜って少し歩くと、広大な芝生広場と何段かの石垣で造られた城塞が現れる。芝生広場には組立式観客席が造られ始めているが、これも「インティ・ライミ」の会場準備だそうだ。巨石が3層積み上げられた石垣は、上から見ると鋸の歯状になっているが、刃先には一個で高さが約5mもある巨石が使われている。サクサイワマン要塞の東側駐車場から少しバスに乗り、「クリスト・ブランコ(Crisuto Blanko、白いキリスト像)」近くの展望台で下車。眼下に土色のクスコ市街全体が展望出来、アルマス広場やコリカンチャも見える。向かい側の山の斜面には「Viva El Pelu(ペルー万歳)」と言う文字と模様(Cuzco市章)が描かれている。山の斜面に文字が描かれている事と古都である事は、京都と共通性がある。
方法Johannesbergのからビクトリアの滝への旅行に
バスに乗り、タンボ・マチャイ沐浴場に向かう。途中、車窓から「ケンコー(Qenqo)遺跡」と「プカ・プカーラ(Puka Pukara)遺跡」が見える。ケンコー遺跡は大地の女神パチャママ(Pachamama)への感謝の儀式が行われた場所で、プカ・プカーラ遺跡は要塞だったそうだ。サクサイワマン要塞の北北東約3.5kmにある「タンボ・マチャイ(Tambo Machay)沐浴場」の入口前駐車場で下車。なだらかな坂道を歩いて行くと、息切れがする。この辺りの標高は約3800mある事に初めて気付く。富士山の標高3776mとほぼ同じだ。約350m歩くと、段々畑状の石組みの遺跡がある。タンボ・マチャイ沐浴場はインカ帝国の王の沐浴場だったと言われている。石組みには2段の滝があり、上段は1筋だが下段では2筋に分かれて水が流れ落ちている。澄んだ綺麗な水に手を浸すと、冷たくて気持ちが良い。この水は雨季、乾季を通して常に一定の水量だが、何処から湧き出しているのか、未だに判っていないそうだ。
バスでクスコ市街へ戻り、アルマス広場東側で下車。徒歩で約120m歩き、昼食レストランへ到着。昼食は「インカ・ウオール(Inka Wall)」と言うレストランでヴァイキング形式の料理を食べる。このレストランの店内の壁は店名通りインカの石組みで造られている。奥にはステージがあるので、夜はフォルクローレ・ショーを観ながら食事が出来るペーニャの様だ。料理の種類も多く、味も結構美味しい。昼食後、徒歩でアルマス広場近くのアルパカ製品の土産店へ連れて行かれる。店内にはアルパカ製のセーターやショール等が沢山置かれているが、値段が高いので、何も買わず。
3:30pm、自由時間となったが、我々夫婦以外のツアー仲間はアルマス広場からバスで全員ホテルへ戻ってしまう。しかし、我々夫婦だけは徒歩でアルマス広場近くの土産店を少し見て周ってから、旅行案内書に載っていた「ピューマ石」を地図を見ながら探しに行く。12角の石を通り過ぎて一筋目の交差点であるインカ・ロカ(Inka Roca)通りを右に曲がると、直ぐのところにピューマ石があった。ピューマ石は1個の石では無く、石組みの20数個の石を結ぶとピューマに見えると言う石である。そう言われれて観るとピューマに見えなくもないが、こじつけの様な気がする。
次に「14角の石」を探しに行く。14角の石はハトゥンルミヨック通りを戻り、一筋目の交差点であるヘラヘス(Herrajes)通りを左に曲がって約40mの所にあった。扉を取囲む石組みの右側で、高さ約2mの所にある幅約30cmの小さな石だ。上下の石は四角形なのに、わざわざこの部位だけ加工が難しい多角形にしたのは、石工の技術を示したかったのか、それとも何かを暗示する図形なのか、何か理由がありそうだ。扉の上の石の右側には蛇が一匹彫られている。「12角の石」、「Puma石」、「14角の石」の3つは何れも「宗教美術博物館(Museo de Arte Religioso)」の外壁の石組みにある。ここはインカ帝国第6代皇帝インカ・ロカ(Inka Roca)の宮殿があった場所で、この石組みはその時代に造られたらしい。ホテルへ帰る為、再びロレト通りを通り、コリカンチャ東側のアワックピンタ(Awaqpinta)通りを歩いたが、この通りも美しい石畳の路地だった。5:00pm丁度にエル・プーマ・ホテルに帰り着く。
ホテル.到着後、家内の気分が悪くなり、部屋のベッドで暫く横になる。自分も少し頭痛がする。標高3400mある事をすっかり忘れ、歩き回ったのが原因だ。夕食前に1階ロビーへ行き、受付で『オクシジェン・プリーズ(Oxygen Please!)』と言ったら、係りの人がホテル備え付けの酸素ボンベを持って来てくれる。家内は酸素マスクをして酸素吸入すると、直ぐに元気が回復した。夕食はホテル1階のレストランでペルー料理の「ロモ・サルタード(Romo Saltado、牛ヒレ肉と野菜の醤油炒め)」を食べる。大皿の上に牛肉の細切りとトマト、玉葱、ピーマンの炒め物にフライド・ポテトと御飯が付いており、結構美味しい。
★8日目(6月14日)
5:34am、ホテルをバスで出発し、クスコ空港に向かう。早朝の為、道路は空いており、9分で空港に到着。ラン航空LP016便は定刻7:15amより13分遅れの7:28amにクスコ空港を離陸したが、リマ国際空港には定刻8:40amより7分早く8:33amに着陸。飛行時間は1時間5分だった。9:11am、リマ国際空港からバスに乗り、リマ市内観光に出発。最初に「ラファエル・ラルコ・エレラ博物館(Museo Rafael Larco Herrera)」を訪問。この博物館はラファエル・ラルコ氏個人のプレ・インカ及びインカ時代の収集品を展示している。スペイン風の青銅色の扉から中へ入ると、煉瓦敷きのなだらかな坂道の両側は白い塀で、その上から色とりどりのブーゲンビリアの花が垂れ下がり、咲き乱れている。この坂道を約40m歩くと、本棟入口前広場に到着。中央に大きな鉢植えの樹木が置いてあり、緑色のみかん位の大きさの果実が何個か生っている。これはペルー特産の「ルクマ(Lucuma)」と言う果物だそうだ。
展示室に入ると、土器類が多数展示されているが、黄金の装身具も幾つかある。展示室を見終わると、収蔵庫に案内される。床から天井まで続く収蔵棚に人面土器がびっしりと置かれている様は壮観だ。芝生の中庭に出ると、周囲に様々な植物が植えら、沢山の花が咲いている。サボテンやリュウゼツランのコーナーには象の鼻と同じ位の大きさと形の巨大な花が咲いている。バスで「アルマス広場(Plaza de Armas)」へ行くと、群集が広場を埋め尽くしている。「リマ・カテドラル(Catedral de Lima)」前には旗を掲げた人々が立並び、群集は広場の南東面にあるカテドラルの方向を向いている。今日は日曜日なので日曜朝の礼拝かと思ったが、規模が大き過ぎる。北東面の路面には「花の絨毯」が幾つも並んでいる。後で調べたところ、これは「聖体祭(Corpus Christi)」と言う行事らしい。
カテドラルの中には入れないので、外側だけ見学する。カテドラルの向かって左側の建物の2階部分に、マホガニー製で凝った造りのバルコニーが突き出ている。石造りの建物に木製のバルコニーが突出た変わった造りだ。広場の北東面には「大統領府」がある。ここはフジモリ元大統領が地位を追われるまで政治を行った場所だ。現地ガイドが次期大統領選挙にフジモリ元大統領の娘ケイコ・フジモリが出馬すると言っていた。アルマス広場からバスに乗り市街地を約9km南下して、太平洋岸にある「恋人達の公園(Parque del Amor)」へ行く。公園の中央部には台の上で男女が座って抱き合い、キスをしている巨大彫像がある。日本では有り得ないが、流石に南米だ。公園の太平洋側は断崖になっている為、二重の柵がある。公園からは太平洋が見えるが、この日は霞が掛かっていて、遠くま良く見えなかった。
「恋人たちの公園」からバスに乗り、この公園と同じ断崖沿いで南西約900mにあるラルコ・マルと言うショッピング・モールで下車。「ラルコ・マル(Larco Mar)」は太平洋岸に面した断崖沿いにあるショッピング・モールで、色々な店が立並び、レストランや映画館もあるが、太平洋が一望出来る展望地点でもある。ラルコ・マルは断崖絶壁の上にあり、標高約70mもあるので、例え大津波が来ても心配無さそうだ。モール内の「クリスタル(Cristal)」と言うレストランで昼食を食べる。レストランの窓から太平洋の景色が見える。我々のツアー席には日の丸の国旗が立ててある。ペルーの人は国旗を立てるのが好きらしい。
料理はバイキング形式で、種類も多く味も良い。旅行中、昼食及び夕食レストランでは飲物は別料金で注文するが、このレストランは、2種類の飲物が無料サービスで付いて来たので、別料金の飲物を注文せずに済んだ。「チチャ・モラーダ(Chicha Morada)」と「ピスコ・サワー(Pisco Sour)」と言う飲物だ。チチャモラーダは紫トウモロコシのジュースで、赤ワイン色をしており、ポリフェノールが大量に含まれているとの事である。飲んでみると、葡萄ジュースの様な味だった。ピスコ・サワーはピスコ酒のカクテルで、白葡萄の蒸留酒であるピスコとレモン・ジュースと卵白をシェイクして作るそうだ。乳白色で上部は卵白が入っている為か白い泡で覆われている。爽やかなレモン味で大変美味しく、何杯でも飲めそうだ。
昼食後、バスでパンアメリカン・ハイウエイ(Panamericana Sule)を南東方向に約20km走行し、パチャカマ神殿遺跡を見学。「パチャカマ神殿遺跡(Pachacamac)」は西暦600年頃よりパチャカマ神(天地創造神)を祭祀する為に造られた神殿だが、スペイン人の侵略に依り廃墟となった。バスに乗ったまま、入口から広大な砂漠状の敷地内を約1km進み、小高い岡の上にあるなだらかな階段ピラミッドの様な形をした「太陽の神殿(Templo del Sol)」前で下車。石と土が交互に積上げられた土台横のなだらかな坂道を登って行くと、太平洋が一望出来る石畳のテラスに出る。この神殿は全体が赤色に塗られていたらしく、土台の一部に赤色が残っている。
再びバスに乗り、入口近くにある「太陽の処女の館(Acllawasi)」及び「月の神殿(Mamacuna)」を観る。遺跡修復中の為か側まで近寄れないので、約100m先からの見学だ。太陽の処女の館は生涯処女を守って太陽神に仕えた乙女達が、一生涯隠遁生活を送った場所だが、まるで2階建てのアパートの様に、個室の出入口がずらりと並ぶ土色の建物である。2:38pm、バスに乗車し、パンアメリカン・ハイウエイを南東方向に走行し、約350km離れたナスカ(Nazca)へ向かう。ところが走行中、トラック運転手のストの為、パンアメリカン・ハイウエイが封鎖されているとの連絡が入る。宿泊地は当初ナスカの予定であったが、急遽、ナスカの手前120kmの地点にあるイカ(Ika)に変更される事になった。
パンアメリカン・ハイウエイは太平洋岸に沿って走る南北米を貫く重要な幹線道路である。日本ではストで国の幹線道路が封鎖される事など有り得ないので、呆れると同時に驚きだ。途中1回、土産店「アジア」でトイレ休憩。ハイウエイの両側とも砂漠地帯で人家は殆ど無く、右側には太平洋が見え、左側には砂漠の中に時々アスパラガス畑が続く。7:05pm、バスはパチャカマ神殿から約4時間半でイカのホテルに到着。イカの宿泊ホテルは「ホテル・ラス・デュナス(Hotel Las Dunas) 」と言う砂漠地帯の中にあるリゾート・ホテルで、部屋も大変広い。到着後直ぐホテル内のレストランで夕食となった。夕食はバイキング形式で、料理の種類も多く、味も大変美味しい。
★9日目(6月15日)
起床後、部屋のテラスに出て見ると、池がある広い芝生の庭園が広がり、庭園や池の周囲には樹木が生い茂っているが、その背後には高さ約20mの砂丘が見える。庭園を散歩すると、外れにミニ・ゴルフ場があり、各ショットはナスカの地上絵の形をしている。何故か中東原産のナツメヤシが生えており、果実であるデーツ(Dates)が鈴生りに生っている。朝食を食べに食堂へ行くと、屋外テーブルの上にバイキング形式の料理が並んでいる。パンや料理、飲物の種類も多く、味も良い。午前中、ホテルの隣にあるイカ空港から小型飛行機でナスカの地上絵を鑑賞する予定であるが、飛行機の出発時間待ちの為、ホテルで待機する事になる。
そこで、庭園の背後にある砂丘に登ってみる。砂丘に登り始めると、砂粒が大変細かい上に乾燥している為、靴が沈み込んで大変歩き難い。漸く頂上へ到着すると、南東側には他の砂丘やイカの町並み、それにホテル全景が展望出来る。反対側の北東側にはイカ空港が見える。10:56am、飛行機の出発時間が決まりバスでホテルを出発すると、イカ空港はホテルの隣の敷地にある為、僅か3分で空港に到着。受付カウンターで「空港税」の他に「ナスカ地上絵保存税」を一人ずつ支払う。飛行機の定員が12名なのに対し、我々のツアー人数は20名なので、2回に分けて飛行する事になり、我々夫婦は1回目のグループに入る。
11:37am、小型飛行機はイカ空港を離陸し、ナスカへ向かう。航空会社はアエロ・コンドル(Aero Condor)社で、機種はセスナ208キャラバン(Cessna 208 Caravan)と言う単発レシプロ機である。飛行機には操縦士と副操縦士が搭乗し、客席は全部で12席あり、通路の両側に1列ずつ並んでいる。飛行機は荒涼とした青味掛かった薄灰色の砂漠や山岳地帯上空を飛行。地表には何本もの蛇行した白い筋が見える。雨水が川となって流れた跡形の様だ。12:02pm頃、飛行機はイカ空港から約25分でナスカの地上絵地域上空付近に到達。地表に長方形や二等辺三角形の面画(Trapezoids)が幾つか現れる。
今まで写真やテレビでしか見た事が無い「ナスカの地上絵(Nazca Lines)」が次々と現れる。最初は地上絵地域の一番南東端に位置する全長63mの「鯨(Whale)」が現れる。青味掛かった薄灰色の地表面に薄い線画が描かれているので、大変見つけ難い。鯨の胴体を太い直線が横切っており、又、胴体の下にも図形が描かれているが、何だか良く判らない。操縦士は左右の座席の乗客が均等に地上絵を見られる様に8の字旋回してくれるので、乗客は反対側の窓へ立って行かなくても済む。そこから北西方向に約12km飛行すると、「宇宙飛行士(Astronaut)」が見えてくる。この絵は褐色の山の斜面に描かれているので、比較的見つけ易かった。丸い眼をして2本足で直立し、右手を揚げている人間の線画で、宇宙飛行士には見えなかった。
そこからさらに北西方向約8km飛行すると、全長110mの「猿(Monkey)」が現れるが、線画が薄くて見つけ難い。胴体は手足と同じ位の太さしか無く、尻尾は蚊取り線香の様に渦を巻いている。猿の胴体の下には鋸刃状の図形と車のラジエータ・フィンの様な線画が描かれている。そこから東方向へ約900m飛行すると、「犬(Dog)」が現れる。手足は胴体位長く、尻尾は更に長くてほぼ垂直に立っている。これは本当に犬なのだろうか。そこから北東方向に約2km飛行すると、地上絵が集中する北東端地域に入り、まず「蜘蛛(Spider)」が現れる。前方向に4本、後方向に4本の足が描かれている。周囲には多数の線画、自動車の走行跡、左側には滑走路の様な巨大な長方形の面画が描かれている。全長136mの「コンドル(Condor)」は長い嘴を持ち、� �大な両羽根を広げ、長い尾羽を持っている。しかし線画は何本もの直線で一部破壊され、分断されている。
今まで写真等で一番多く見た事のある「蜂鳥(Humming Bird)」は、地上絵地域北端に連なる丘の直ぐ南側の、周囲を丘に囲まれ湾の様になった所に描かれている。地表面が他の地上絵より濃い灰色をしている為か、地上絵が比較的はっきり見える。そこから約3km飛行すると、パンアメリカン・ハイウエイのクランク部があり、その直ぐ南側に「渦巻き(Whorl)」が描かれている。まるで巨大な蚊取線香の様だ。そしてパンアメリカン・ハイウエイに沿って南東方向に約1km飛行すると、ハイウエイの南西側直ぐ側に「手(Hands)」と「木(Tree)」が描かれ、その中間のハイウエイ沿いに「ミラドール(Mirador)」が建っているのが見える。ミラドールは地上絵研究家マリア・ライヘ(Maria Reiche)が建てた高さ約20mの観測塔だ。今日もストで封鎖されている為か、ハイウエイには車は一台も走っておらず、駐車場と横断歩道が見えるが、乗用車が1台駐車しているだけだ。
当初の予定では我々のツアーはナスカから遊覧飛行後、バスでリマへ戻る途中、このミラドールへ立寄る事になっていたが、立寄れなくても余り残念とは思わなかった。何故なら、地上絵は大き過ぎて、地上からは全体が良く見えない事を実感したからだ。木の直ぐ北側には全長187mの巨大な「とかげ(Lizard)」が描かれているが、驚くべき事に、パンアメリカン・ハイウエイに依って無残にも胴体が分断され、破壊されている。ペルー政府は地上絵がある事に気付かずに道路を建設してしまったとの事であるが、世界遺産になった現在、地上絵を復元し、道路の位置を変更すべきだろう。
そこから北へ約1km飛行すると、地上絵地域北端の直ぐ南側に全長約280mもある「鷺(Helon)」と「ペリカン(Pelican)」が向き合って描かれているが、何れも多くの線画や面画が入り組んで描かれているので大変判り難く、見つけるのに一苦労する。「鷺」は「青鷺」、「パリワナ」、「アルカトラズ」等他の名前が幾つかあるらしい。鋸刃状の異常に長い首を持つ鳥が描かれているので、何の鳥か良く判らない為だろう。再び約1km南下すると、トカゲに向かい合って「オウム(Parrot)」が描かれている。約30分間の地上絵遊覧飛行だったが、これで主な地上絵は一通り見る事が出来た。
12:30pm、飛行機は帰途に付く。操縦席の背後に注意書きがあるので読んでみると、英語や他の言語と並び、日本語で「ちっぷありがとうございます」と書かれている。小型飛行機とは言え、操縦士がチップを暗に要求するとは驚きだ。しかし我々のツアー仲間は誰もチップを渡さなかった。12:55pm、小型飛行機はイカ空港に着陸。2回目のグループがこの小型飛行機に我々と入替えで搭乗。このグループがナスカ地上絵遊覧飛行から戻って来る迄、イカ空港内で時間を潰す。アエロ・コンドル社から機長のサインが入った「ナスカの地上絵遊覧飛行証明書」を受取る。2:47pm、2回目のグループが戻って来たので、バスでホテルへ戻る。
ホテル・ラス・デュナスの屋外席でバイキング形式の昼食を食べる。横にプールがあり、リゾート気分が味わえる。3:45pm、バスでリマへ向かう。途中一回、往路でも立寄った土産店「アジア」でトイレ休憩。バスはリマへ向けてパンアメリカン・ハイウエイを疾走するが、バスの中から太平洋へ沈む夕日を鑑賞する事が出来た。8:34pm、リマ市内にある夕食レストランへ到着。イカからの所要時間は4時間49分だった。「まつり」と言う日本食レストランで夕食を食べる。トンカツ等が入った和食弁当と味噌汁だったが、いずれの料理も味は今一だった。9:33pm、バスでリマ国際空港へ向かう。所要時間43分でリマ国際空港へ到着。リマ国際空港でペルーからの出国手続を済ませ、飛行機の搭乗待ち。いよいよ帰国の途に着く。
★10日目(6月16日)
ラン航空LA600便は定刻12:05amより21分遅れの12:26amリマ国際空港を離陸。食事は2回出たが、往路と同じサンドイッチで、やはり味は今一だった。6:23am、定刻6:50amより27分早くロサンゼルス国際空港に着陸。飛行時間は7時間57分で、往路の飛行時間とほぼ同じだった。ロサンゼルス国際空港のトム・ブラッドレイ国際ターミナルでU.S.A.への入国手続後、スーツケースを受取り、徒歩で本棟のターミナル2へ移動。U.S.A.からの出国手続きは無く、保安検査を通過するだけでターミナル2へ入れる。ツアー仲間の何人かが保安検査で、ペルーで購入した「塩」が「白い粉」として引っ掛かったが、直ぐに通過出来た。
ターミナル2の出発案内ディスプレイを見ると、我々のツアーが搭乗予定のノースウエスト航空NW001便は「航空機到着遅れの為遅れ(Delayed Due to Late Arriving Aircraft)」と表示されている。そして出発の定刻は1:20pmであるが、4:30pmと表示されている。アリューシャン(Aleutian)列島で火山が爆発した為、飛行経路が変更され、成田国際空港から飛んでくるNW002便の到着が遅れているとの説明である(帰国後調査した結果、千島列島のサリチェフ火山(Sarychev Peak)の噴火の影響であった。)。その為、約3時間10分の大幅遅れとなり、乗継待時間は約10時間もある。10時間あればロサンゼルス市内観光が充分出来るのに、添乗員のKさんは行く気が無いようだ。我々夫婦だけで市内観光に行く事も考えたが、何かトラブルがあるといけないので止めておく。
ターミナル2にあるレストランでサンドイッチとジュースを購入し、昼食として食べる。ラン航空の機内食のサンドイッチより美味しい。昼食後、ロサンゼルス国際空港内の他のターミナルを探検する。空港の建物はコの字型をしており、その周囲に7つのターミナルがある。その内側には別棟の立体駐車場が建っており、空港の建物の3階と連絡橋で繋がっている。我々のいるターミナル2の出発フロアは3階にあるので、連絡橋を渡り立体駐車場を通過して反対側にあるターミナル4へ行く。ターミナル4にはフードコートがあり、うどん等日本食の店もあった。再び保安検査を受けてターミナル2へ戻り、この話をツアー仲間にすると、早速何人かが日本食を食べに出かけた。5:28pm、ノースウエスト航空NW001便は、定刻より4時間8分遅れでロサ� ��ゼルス国際空港を離陸。往路と同じく、機内サービスも機内食も相変わらず今一だ。
★11日目(6月17日)
9:09pm、NW001便は定刻4:30pmより4時間39分遅で成田国際空港に着陸。飛行時間は11時間5分だった。設備、サービス、食事が悪い上、往路復路のいずれも約4時間遅れとなったノースウエスト航空に乗るのはもうこりごりだ。当初の予定では、成田国際空港6:20pm発の乗継便NW084で関西国際空港まで移動する筈だったが間に合わず、夜も遅いので、今夜は成田国際空港の側にある「ホテル日航成田」で宿泊し、明朝関西国際空港まで移動する事になった。ホテルの宿泊費はノースウエスト航空持ちとの事である。成田国際空港から空港敷地の北側にある「ホテル日航成田」へバスで移動。「ホテル日航成田」へ到着すると、部屋の鍵と夕食券をくれる。既に機内食の夕食を食べていたが、余り美味しくなかったので、� �間は10:30pmを過ぎていたが、もう一度ホテルにて夕食を食べる事にする。料理の種類も多く、味も大変美味しいが、流石に多くは食べられなかった。
★12日目(6月18日)
ホテル出発時間が5:00amと早い為、4:00amに起床し出発準備。我々夫婦は特に予定は無いので、ホテルでゆっくり朝食を食べたかったが、食べられないのが残念だ。NW001便の乗客の中には予定がある人がいるので仕方が無い。5:00am、ホテル日航成田をバスで出発し、羽田空港へ向かう。5:53am、所要時間53分で羽田空港に到着。羽田空港の搭乗待合室の売店でサンドイッチとカフェ・ラテを買い、朝食として食べる。7:37am、全日空ANA141便はに羽田空港を離陸し、関西国際空港に向かう。9:27am、関西国際空港に着陸。飛行時間は1時間50分だった。
関西国際空港のバゲージ・クレイムでスーツケースを受取り後、我々のツアーは解散となる。添乗員のKさんやツアー仲間に挨拶後、バス停に移動。9:45am、関西国際空港発のリムジン・バスに乗り、上本町駅に向かう。10:35am、リムジン・バスは上本町駅へ到着。所要時間は50分だった。バス停からエスカレータに乗り、地下にある近鉄上本町駅へ降りる。10:50am、上本町駅発の近鉄特急に乗り、白子駅に向かう。途中、奈良県桜井市にある三輪山が良く見え、日本へ戻って来た事を実感する。12:34pm、白子駅に到着。所要時間は1時間44分だった。予定が何度も狂い、日程も1日多くなったが、南米旅行から漸く自宅に帰り着いた。
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